八田に館を構えていた八田氏は、頼朝に仕えた大豪族でした。しかし戦いに敗れ、昔のおもかげもありません。主の八田七郎知朝(はったしちろうとものり)は、八田家を再興することもできず、苦悩の日々を送っていました。ある夜、枕元に白衣姿の聖徳太子が現れ、「稲田にいる親鸞の教えを受けよ。」とのお告げがありました。八田七郎はそのお告げにしたがって稲田に行き、親鸞聖人の弟子となって八田入信房(にゅうしんぼう)と名のり仏法を学んだのです。入信房は何年かの修行ののち、故郷の八田村に帰り、寺を建てて念仏の布教につとめました。その寺を常福寺(じょうふくじ)といいました。入信房からおよそ三百年たった天文十年(1541)、寺は八田からはずっと遠い筑波郡の大曽根村(いまのつくば市)に移ることになりました。
十代目の信廓(しんかく)のとき、武士たちからはげしく迫害されたためです。多くの村人たちが、「わしたちもお寺と一緒に行かしてくだされ。」と願い出ました。しかし信廓は、「向こうへ行っても皆さんに与える土地もありません。この寺の形見として、寺宝の聖徳太子像をのこしていきます。どうぞ、いつまでも線香の煙を絶やさないでくだされよ。」こう言いのこして大曽根村に去って行きました。八田の人たちは、寺のあとに太子堂を建て、聖徳太子の像を安置してあがめ尊んできました。つくば市大曽根には、いまもこの常福寺があります。八田入信房を開基とし、代々八田姓を名のり、現在は二十七代目になります。寺は仏名山玉川院(ぶつみょうさんたまがわいん)と号し、玉川石の"めのう"を寺宝としています。
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