京の都に壹井大学頭橘重善(つぼいだいがくのかみたちばなのしげよし)という下級の公家がいました。同じ公家の中に、心のよくない者がいて、重善のことを悪く言うのです。そのため重善は都を追われ、諸国を歩き回っているうち石沢にたどりつき、そこにあった太子堂を参拝しました。夜中になって、重善が眠っていると、夢の中に白衣をまとった聖徳太子が現れ、おごそかな声で話をするのです。「これより西南の方角に高僧がいて、庶民に説法をしている。仏法を学ぼうとするならば、そこをたずねられよ。」はっとわれにかえった重善は、あたりを見まわしたが何の変った様子もありません。ただ聖徳太子の像がぽつんと立っているだけでした。「私の日頃の願いが聖徳太子の御心に通じて、それをかなえてくれたものに相違ない。」こう考えた重善は石沢から西南にあたる稲田(今の笠間市)で布教をしていた親鸞聖人のもとへ弟子入りしたのです。聖人のもとで熱心に仏法を学び、慈善房(じぜんぼう)という法名をもらい、石沢に戻って寺を建て、常弘寺(じょうこうじ)と名づけました。太子堂を修理し、自分を救ってくれた聖徳太子を大切にしたということです。
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