2月6日、トルコ南東部においてマグニチュード7.8の大地震が発生し、2月9日現在の死者数は隣国シリアと合わせると15,000人を超えたという報道がされております。
我が国とトルコは1890年のエルトゥールル号事件以来、友好を深めてきた関係にあります。
エルトゥールル号事件とは、オスマントルコ帝国海軍のフリゲート艦「エルトゥールル」が荒天航行中、熊野灘で機関故障、紀伊半島南端、大島の岩礁に激突、大破した事件で、乗組員587名が殉職しました。大島島民による献身的な救助及び救命活動により、69名が命をとりとめ、日本の帝国海軍軍艦「金剛」「比叡」によりトルコのイスタンブールに送り届けられました。
そのエルトゥールル号事件から90年後の1980年、イラン・イラク戦争が勃発、イラクのフセイン大統領は1985年3月17日にイラン上空を飛行する航空機に対し無差別に撃墜するという宣言を行いました。外国人が母国の民間機や軍用機で国外離脱する一方、自衛隊機を派遣する政治状況になかった我が国は、民間航空会社にも危険地域への飛行を拒否され、日本国政府として打つ手がなく、首都テヘランには日本人のみが取り残されるという事態が発生しました。その時、歴史を重んじるトルコ政府は、トルコ航空最終便2機に座席を確保し、土壇場の状況で邦人215名を救出してくれました。
後に分かったことですが、最終便2機に搭乗予定であったトルコ人は日本人に席を譲り、陸路で自国にむけ脱出したそうで、危険地域から邦人を救出したパイロットは、エルトゥールル号事件で救出されたトルコ人の末裔だと言うことです。
この救出劇に対し、日本からの経済支援を期待した目論見ではないかとの新聞評論も見られましたが、当時の駐日トルコ大使は「トルコは100年の恩を忘れない国です」と反論したと言います。
このような歴史を互いに育んできた盟友トルコが、大変な事態になっています。本市としても少しでも役に立てるよう義援金の受付を企画いたしました。ご協力いただけますようお願い申し上げます。