「常陸大宮市史編さんだより」【11/27更新】

常陸大宮市史編さん事業の本格始動に伴い、平成28年9月発行の「広報常陸大宮」から、市史編さんだよりの連載をスタートしました。

常陸大宮市史編さんだよりvol.82

滝ノ上遺跡の特殊な縄文土器

考古部会専門調査員
塚本 師也 氏
益子町教育委員会 学芸員

 那珂川を眼下に見下ろす三美みよし滝ノ上遺跡たきのうえいせきは、縄文時代中頃の大規模なムラの跡です。発掘調査が行われ、竪穴住居跡や食料貯蔵用の穴、縄文土器や石器が多数発見されました。ここから発見された、今から約5,000年前の不思議な縄文土器を紹介します。

 縄文土器の形や文様は、製作者が自由に決めていたわけではありません。よく似た形や文様の土器が、同じ遺跡、同じ地域から発見されるため、土器作りにある程度のきまりがあったと考えられています。通常は関東一円、あるいは関東地方の東半分・西半分ぐらいの範囲に、類似した土器が見られます。

 ところが滝ノ上遺跡から、他の遺跡には見られない変わった土器が2点発見されました(写真1)。ソロバン玉のような形をし、縁に複雑な突起を付けます。屈折する胴の中ほどで文様を区切り、その上側に、地元の土器や千葉県北部~茨城県南部の土器の文様を、複数配置します。この屈折部で文様を区切る手法は、常陸大宮市周辺にはなく、宮城県南部から福島県北部にみられます。

写真1
▲写真1:滝ノ上遺跡 出土土器

 この2点とそっくりではありませんが、ソロバン玉のような形で、簡素な文様を付けた土器が、茨城県内を中心にいくつか見られます。滝ノ上遺跡の南東約3kmに位置する高ノ倉遺跡からも発見されています(写真2)。

写真2
▲写真2:高ノ倉遺跡 出土土器

 縄文時代中頃の滝ノ上遺跡には、色々な地域の土器文様を知り、それらを組み合わせた独特の土器を作る人物がいたようです。彼(彼女)は、その作り方を他の遺跡の人々には真似できないよう、秘密にしていたことが想定できます。一方、他の遺跡の人々は、この土器にあこがれ、真似しようと試みたようです。しかし、少し土器を見せてもらっただけで、作り方や文様の詳細は伝授されなかったため、そっくりな土器は作れなかったと考えられます。

 縄文土器の研究では、同じ形や文様の土器を製作する人々を、土器に同じ世界観を表現した人々(集団)と想定しています。滝ノ上遺跡の2点の土器からは、こうした集団ではなく、土器作りにおいて特別なポジションにあった個人が見えてきました。

 ソロバン玉形で、複数地域の土器文様を組み合わせたこれらの土器を、私は「滝ノ上型」と名付けました。

「常陸大宮市史編さんだより」vol.82 [PDF形式/1.32MB]

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  • 【更新日】2023年11月27日
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