いずみの部屋へようこそ!
国史跡・重要文化財にW指定されました!
遺跡と出土品が両方国指定になるのは茨城県初の快挙です!
【泉坂下遺跡】
大宮地域の南東、久慈川と玉川の合流点付近の久慈川西岸、標高20~21mの低位段丘に位置する遺跡。
平成18年1月、石棒製作趾の可能性と、死者を埋葬後、時を経て遺骨を堀上げて壺に納め再び葬る「再葬墓」の存在を探るために行った学術調査により、ほぼ完形で国内最大の人面付壺形土器(通称いずみ)を含む数多くの土器を埋設した弥生時代中期の再葬墓遺跡であることが判明しました。その後の4回にわたる調査によって遺跡の範囲が確認され、平成29年10月13日の官報告示によって国史跡に指定されました。
【プロフィール】
身長(器高) 77.7センチメートル。国内最大です。
(口径14.0センチメートル、頸径12.0センチメートル、胴径38.0センチメートル、底径12.5センチメートル)
年齢 推定2300~2200歳。弥生時代中期の生まれです。
※いずみの部屋は以下に続きます
1 再葬墓ってなあに?人面付壺形土器ってなあに?
刊行物はこちら
大宮地域の南東、久慈川と玉川の合流点付近の久慈川西岸、標高20~21mの低位段丘に位置する遺跡。
平成18年1月、石棒製作趾の可能性と、死者を埋葬後、時を経て遺骨を堀上げて壺に納め再び葬る「再葬墓」の存在を探るために行った学術調査により、ほぼ完形で国内最大の人面付壺形土器(通称いずみ)を含む数多くの土器を埋設した弥生時代中期の再葬墓遺跡であることが判明しました。その後の4回にわたる調査によって遺跡の範囲が確認され、平成29年10月13日の官報告示によって国史跡に指定されました。
【泉坂下遺跡出土品61点】
弥生時代中期、今から2300年ほど前のこの地で行われた風習によって営まれた再葬墓は、ひとつの墓穴に複数の骨壺を納めていることが特徴です。低地に再葬墓が営まれた泉坂下遺跡は、後世水田として利用されたために耕作土が浅く、様々な壺の多くが破壊を免れ、埋葬された当時の姿を残していました。国内最大の人面付壺形土器「いずみ」もそのひとつ。9月15日の官報告示で重要文化財に指定された出土品には、遺骨とともに家族が収めたであろう滑石製の玉(大きなビーズ)5点も含まれています。
人面付壺形土器「いずみ」
【プロフィール】
身長(器高) 77.7センチメートル。国内最大です。
(口径14.0センチメートル、頸径12.0センチメートル、胴径38.0センチメートル、底径12.5センチメートル)
年齢 推定2300~2200歳。弥生時代中期の生まれです。
※いずみの部屋は以下に続きます
1 再葬墓ってなあに?人面付壺形土器ってなあに?
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